ところで「泪橋」の事を、キミはどれだけ知ってる?(改)

オープニングは「あしたのジョー」の名シーンで

あしたのジョー」より、『真っ白な灰』



立てえええぇぇぇ〜っ!立つんだあぁ、ジョーおおおぉぉぉっ!(丹下段平)

というワケで、梶原一騎原作の『あしたのジョー』といえば、「ファンでなくともタイトルくらいは知っている」「いやいや、力石徹との壮絶な一戦は知ってるぞ」「昔、とんねるず石橋貴明丹下段平のモノマネをやってたなぁ」ってなくらいに有名な漫画である。恐らく、僕がこんな事を書かなくとも「知ってるって!」とツッコミを入れた人も多いハズだ。


んで、『あしたのジョー』の作中の名セリフの中に、こんなのがある。

あしたのジョー』より

荒川区台東区の区境となっている思川、その上に架かっているのが泪橋。その橋の下にある掘っ建て小屋こそ、少年院を出てきたばかりの矢吹丈のために丹下段平が作った「丹下拳闘クラブ」だ。

丹下は矢吹を橋の上に呼び出し、静かに語り始める。

丹下段平

この橋はな、人呼んで泪橋という。いわく…、人生に破れ生活に疲れ果てて、このドヤ街に流れてきた人間たちが、涙で渡る悲しい橋だからよ。

(中略)

だが、今度はわしとおまえ(ジョーの事)とでこの泪橋を逆に渡り、あしたの栄光を目指して、第一歩を踏み出したいと思う。

ふ〜む。僕の中では、このセリフは石橋貴明のモノマネのイメージが強いから、もっと情感を込めて「二人でえええぇぇぇ〜っ!泪橋をよおおおぉぉぉ〜っ!」って感じでやっていたモンだと思っていたけど…、実際は意外と冷静に喋っていたんだな。

あしたのジョー」の最終回 『真っ白な灰』

二人でえええぇぇぇ〜っ!泪橋をよおおおぉぉぉ〜っ!(丹下段平)

というワケで、ここからが本題。僕は昨日、友人である吉田ナゴヤ氏(http://plaza.rakuten.co.jp/yoshida758do/)と一緒に、その泪橋に行ってきた。切欠は最近、生観戦の際に出会う人々から「泪橋に行きたい」と言われたんだけど…、僕自身もどこにあったか忘れたからである。う〜む、一回だけ行った事はあるんだけど、あれはもう何年も前の話だしなぁ。



この交差点こそ、現在の泪橋である。思川は明治時代に暗渠化(『あんきょか』、地下に埋められたって事)されており、当然ながらその上を架かっていた泪橋など昔から存在しない。つまり『あしたのジョー』の作中にある川と橋は、梶原一騎による演出だったのだ。これぞ梶原マジック。




ちなみに「泪橋」の、本当の名前の由来は以下の通り

「泪」という名の由来

(Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%AA%E6%A9%8B)を一部編集)

江戸時代、小塚原は犯罪者の刑場であり、磔火焙り獄門が行われ牢内で斬首された首はここに運ばれて晒された。山谷地区の北端にあり、地区のはずれに泪橋がかかっていた。小塚原の刑場にいくにはこの橋をわたった。


泪橋は、罪人にとってはこの世との最後の別れの場であり、家族や身内の者には、刑を受ける者との今生の悲しい別れの場。お互いがこの橋の上で泪を流したことから、この名が付けられた。

あしたのジョー』で語られる一節よりも、ずっと悲しい由来だ。

このドヤ街特有の匂いが、なんともいえないねえ(矢吹丈)

で、「折角、この辺りを歩いたのだから」って事で…ついでに『いろは商店街』にも行ってきた。



『いろは商店街』っていうのは、いわゆる「日本の三大ドヤ街」の一つである山谷地区の中心街である。一応説明しておくと…ドヤっていうのは、出稼ぎなどで地方からきた日雇い労働者の為に作られた簡易宿所の事。その環境は決して良いものとは言えず、相部屋だったり、一畳一間だったり。「人が住むところではない」と自嘲的に、『宿』を逆さまに読んだのがドヤの始まりと言われている。

現在のドヤは、これよりは多少は状況が良くなっており、一泊あたり2000円程度で「カラーテレビ付き」の部屋に泊まれるようになっている。ふ〜む、「カラーテレビ付き」という言い方が、ドヤが作られた時代を象徴しているな。


土曜の昼下がりだというのに、アーケード内の店の半分近くはシャッターが閉まっており、入り口付近の酒屋には日雇い労働者と思わしき人々が十数人、酒を片手に談笑していた。更に商店街を歩けば、毛布に包まって寝ている人もチラホラ。商店街を抜けた先にある酒屋の前には、空になったカップ酒が大量に散乱していた。吉田ナゴヤ氏曰く「今日はこの店が休みだから、アーケード前の店に人が集まっていたんだろうさ」。成程ねぇ。数年前にこの付近を訪れた時、警察署の前で炊き出しの列があった事を思い出すよ。

あしたのジョー』の時代設定は昭和30年代〜40年代だが…時は経てども、泪橋付近がドヤ街である事には今も変わりがない。


…とはいえ「まったく、変わりがないか?」といえば、そんな事はなかったりする。最近は外国人バックパッカーや、コミケ目的のオタクなどが、ドヤの宿泊費の安さに目を付けて利用するケースが増えているそうだ。これに合わせて、インターネットを導入するドヤも出てきているらしい。う〜ん、このまま行けば「ドヤ街」という単語の定義そのものが変わりそうだな。


東京山谷 バックパッカーたちのTOKYO

ちなみにこの後は、近くにある旧吉原の辺りを歩いた。昔からの名残りなのか、今でもこの辺りはソープ街として機能している。そんなお店の看板に「VIOLENCE SORP 女王蜂」って名前があったなぁ。なんだか怖えよ。

じゃあな、腹ぺこボクサー(金竜飛)

帰りは吉原の見返り柳の付近にある、明治三十八年創業の老舗の桜鍋屋「中江」にて桜鍋(つまり馬肉の鍋)を食す。



桜鍋は非常に上品な味で旨かったのだが…、見ての通り、その鍋の見た目はイマイチ。イヤ、これは僕と吉田ナゴヤ氏が、何も考えずに鍋に食材をブチ込んだのが悪いんだけどさ。中江さん、どうもスイマセン。マジで旨かったッスよ。



おまけ

ちなみに、吉田ナゴヤ氏自作のトートバッグが、「中江」の仲居さんに大ウケ。吉田氏、よかったのお。



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エンディングはこの曲

岡林信康「山谷ブルース」