7/25 DDT MFPでのイベント(廃墟プロレス) 観戦記
意外と廃村とか廃墟とかが好きなんです
本日は茨城県の守谷市にある守谷フレンドパークにて、DDTの廃墟プロレスを観戦。
突然だが、僕は廃村というヤツが嫌いではなく、今までに何箇所かそういうところを訪れている。僕は日帰りの旅を趣味の一つとしているのだが、「廃村探訪」は普段は絶対に行かない場所に行くにはもってこいで、特に山間にある廃村は「山頂まで行かずとも、山を堪能した気になれる」という大きなメリットもあるのだ。
かつては人々が生活を営みながらも、産業の衰退や生活の利便性など、様々な理由により人々が土地を去っていき、後に廃墟が残された場所、廃村。ここからは僕が訪れた廃村を紹介すべく、写真を何点か掲載して行く。
廃村その1 埼玉県さいたま市桜区大字塚本
最寄駅はJR埼京線の南与野。そこから西武バスで浦和北高校で下車し、高校裏の堤防を超えたところにあるという、何とも近場にある廃村。
一見しただけでは廃村とは気づきにくいのだが、水害防止のために国からの補償を受けた上で1990年代後半に全戸移転したという廃村、というよりは廃地区。廃屋などはすべて壊されており、まだ廃村になって歴史が浅い上に田畑は今でも使われているらしく、非常に綺麗な場所だった。
左は堤防の上から東側を見た風景。奥に見えるビル郡は都市は大宮。そして右は堤防の上から西側を見た風景、つまり塚本の風景だ。このギャップこそが塚本廃村の最大の魅力なのだ。
左は塚本廃村の中にある鎮守の森。なにやら幻想的な風景。右の田んぼは今でも使われているようだが、妙に荒れているのが気になる。
左は人々の生活の跡。ここに人がいないのが不思議なくらい生活感が出ている。右はさいたま市指定の文化財、薬師堂のマキを紹介する看板、及び薬師堂の一部。なかなかに立派。
これが薬師堂のマキ。木自体はかなり立派なのだが、とにかく周りの銀杏が臭くてたまらん。
左は鳥居、右は祠。かつて人が生活していた最大の証拠と言えるだろう。
廃村その2 埼玉県飯能市大字上名栗字白岩
最寄駅は一応、西武池袋線の飯能駅。そこから国際興行バスで湯ノ沢行きのバスで一時間ほど移動。名郷というバス停で降りた上、某大手鉄工企業の関連工場の裏を抜けて一時間ほど登山すると存在する廃村。他のページなどを読むと一般的な廃村マニアは車で訪れているようだが、僕は交通機関を利用して行った。まぁ、経験者から言わせてもらうと、ズバリ車で行った方が良いと思う(苦笑)。
で、この村はかつて、炭焼きと鉱山で生計を立ていたらしいのだが、時代の流れと共に過疎化が進み、1990年代前半に廃村となったらしい。こちらには民家が生々しい姿で残っており、いわゆる一般の人が思い浮かべる「廃村」のイメージそのままだと言えるだろう。
左は白岩廃村に向かう道中で撮影した景色。とにかく山深いところに存在する廃村なのである。山の風景というのは圧倒的で、恐怖すら感じる。右は、この地区が『白岩』と呼ばれる所以となっている大きな白い岩。石灰石なのだそうな。
左は廃屋その1の外観。見ての通り、本格的な廃屋である。右はその建物の遺留物、石野真子のレコード。住んでいた人の世代や嗜好が見える。
左は廃屋その2の内観。台所の風景なのだが、見ての通り荒れ放題。右はその廃屋の外にあった遺留物、カセットテープ。「北酒場」とか「昔の名前で出ています」とか、僕でも知っているメジャータイトルが並んでいる。
左は廃屋その3の内観。テナントって、今でも集めている人っているのかな?右も同じ建物の内観。「足の踏み場もない」とはこの事だ。
左は白岩廃村の象徴とも言える、可愛らしい子供用のペダルカー。ここを訪れる人は必ずこのペダルカーの写真を撮っているようだ。右は祠。こんな山奥であっても、人々は信心深く生活していたのだ。
蓼食う虫も好き好き
そんなこんなで、廃村が好きな僕が「廃墟プロレス」という単語に反応しないワケがなく、今回はその言葉に騙されて、わざわざ平日の夕方から茨城県の山の中にまで来た、というワケだ。ええ、このためだけに会社を休んだバカですとも。
さてさて。「廃墟プロレス」と聞くと「どんな恐ろしいところでやる気なんだ?」という風に想像してしまうが、会場となる守谷フレンドパークまでのアクセスはそこまで悪くなかった。つくばエクスプレスの秋葉原駅から快速で約30分で到着したのが、茨城県の守谷駅。んで、駅からはタクシーで10分程度の距離だった。まぁ、いかに廃墟であろうとも適当にアクセスが良くないと、そもそも客が集まれないからなぁ(笑)。
そして、今日の闘いの舞台となる守谷フレンドパークについてだが…。確かに廃墟だとは思うのだが、思ったよりは綺麗な場所だった。何でもここは、長年廃墟だった建物を、地元の若者達が様々な人々の許可を得て遊び場へと変えたものらしい。成程、道理て綺麗なワケだよ。
建物の表側。玄関は人が多くて写真が撮れなかった…。窓に張っている新聞紙が廃墟っぽさを演出している。
建物の裏側。こちらの方はより廃墟っぽく見える。
庭の様子。捨てられたボートやベンチが生活感を出している。そして今日の主役である「穴」。どう主役になったのかは、後々に記述する。
そして中の様子。廊下だけ見ると、あまり廃墟っぽく見えない。そしてメインフロアの中に入ると…アレッ!? もう試合やってるジャン!う〜む、「開始は遅れるだろう」と見ていた自分の読みが甘かったか…。
廃墟プロレス…というよりは、穴プロレスだったような…
CMLL認定KO-Dタッグ王座 & 守谷ワールドタッグ王座選手権 3WAYマッチ 時間無制限一本勝負
高木三四郎(175cm/108.0kg/CMLL認定KO-Dタッグ 王者)
○澤宗紀(173cm/85.0kg/格闘探偵団バトラーツ/CMLL認定KO-Dタッグ 王者)
vs
●吉田充宏(身長不明/体重不明/フリー/守谷ワールドタッグ 王者)
安部健治(身長不明/体重不明/CMAプロレスリング/守谷ワールドタッグ 王者)
vs
HARASHIMA(178cm/90.0kg/CMLL認定KO-D無差別級 王者)
松本浩代(167cm/70.0kg/息吹)
[16分11秒 お卍固め・イン・ザ・穴]
※高木組がCMLL認定KO-Dタッグ王座を防衛。守谷ワールドタッグを奪取したが、こちらは即返上。
会場には、平日の昼間だというのにどういうワケか、既に120名以上の観客がプロレスを楽しんでいた。現KO-Dタッグ王者である高木三四郎&澤宗紀は「大人気ないタッグ王者」としても名を馳せているが、ここに集まった観客は、彼らに負けずと大人気がないな。まぁ、僕もだけど(苦笑)。
建物の中は120人の大人達がプロレスを観戦するにはちょっと狭い上、廃墟という性質上、当然ながら空調も照明も存在しない。おかげで試合をロクに追えなかったのは残念だったが、まぁ週プロの記事などを交えつつ、追える範囲で追っていこうと思う。
で。僕が会場に着いた頃には、すでに会場内はカオス状態になっていた。松本浩代がピコピコハンマーを持ち込んでいるのは何故だっ!? ちなみに会場内には「座ると呪われる椅子」が存在し、僕が会場に来る前には次々に選手が死亡していたらしい。選手達がどうやって復活したかは各自調査。
ちなみにリングはマットレス三枚で、コーナーの代わりをラダーが担当。ラダーの上から、松本がボディアタックを敢行。
ようやく自体が飲み込めたのだが、松本が持ち込んだピコピコハンマーだけではなく、この試合では選手が全員、武器の持ち込みを行なっているらしい。高木三四郎はギター、安部健治はマネキンの生首を持ち込む中で…。
圧巻だったのは、吉田充宏が持ち込んだバリカン。この凶器を奪った高木&澤は何か取り憑かれたかの如く、ひたすら吉田の髪の毛をバリカンで刈っていた。なんという恐ろしい凶器だ…。
高木&澤による「黄金シャワー」は今回も不発。どんな技かは未だに不明だが、僕の想像通りの技だとしたら、こんなところでやられたら、たまったモンではない。
やがて試合は場外戦へ。どこからが場内で、どこからが場外なのかは各自調査。で、僕は澤を追いかけた。吉田の手によってトイレに封印される澤。KO-Dタッグ王者、大ピンチである。どんなにバカバカしくても、大ピンチである。
外ではHARASHIMAが安部健治を痛めつけていた。アバランシュ・ホールド、サッカーボールキックと矢繋ぎに技を浴びせ、フォールを奪うも松井レフェリーは不在。他のレスラーを含めて、みんなで松井レフェリーのもとへと向かうと…。
そこには穴の中でお卍固めを極める澤の姿が。吉田がギブアップして試合終了。尚、この写真のみ週刊プロレスの写真を使わせて頂きました。スイマセン…。
試合後、何故か穴に嵌っていく選手たち。高木は真っ逆さまに嵌ってしまい、松本や松井レフェリーの手によって引っ張り出されていた。マジで危ないってばさ。
勝った高木は、この物件を見つけてきた吉田を絶賛。「良く、こんなところを見つけて来たな!」と褒め称え、「茨城の興行を、お前に任せてもいい!」と太鼓判を押した。
何故か半ケツが出た状態である安部を救うべく、高木と澤がが引っ張り上げようとするも、「ファイト!一発!」の掛け声と共に、二人は再び穴の中へ。相変わらず大人気がない。
女子レスラーなのに、このバカバカしい試合に参加した松本。そして五日前、両国国技館に集まった8800人以上の観客を感動させたにも関わらず、このバカバカしい試合に参加したHARASHIMA。なのに、なんでこんなにいい表情をするのだろうか?
そして、そんな二人も結局は穴の中へ。とにかくこの日は「お前ら!これがやりたいだけだろ!」と言いたくなるくらいに穴に落ちていた。
全員による記念撮影から王者組のみ抜いてみた。疲労困憊の表情が、この日が大激闘だった事を雄弁に物語っている。バカバカしくはあるが、大激闘だったのだ。
最後はみんなで、身体についた泥を水で洗い落として終了。「ありがとう!汚れた顔の天使たち!」(by 若林健治 元アナウンサー)。