全日本キック「Solid Fist」 第八試合

第八試合 俺達、もう終わっちゃったのかな?バカヤローッ、まだ始まっちゃいねぇよっ!

62kg契約 3分5R
○ジャルンチャイ・ケーサージム(170cm/61.7kg/タイ/ラジャダムナンライト級 & WMC世界ライト級 & タイ国プロムエタイ協会ライト級 & オームノーイライト級 王者)
小林聡(170cm/61.6kg/藤原ジム/WKA世界ムエタイライト級 王者)
[判定 3−0]

ジャルンチャイは弱い

昨年八月、新日本キック「TITANS」。ラジャダムナンライト級王者のジャルンチャイ・チョーラチャダーゴンは、新日本キックライト級王者の石井宏樹と対戦。僕はこの試合を生観戦したが、そこにいたのは「何とも弱々しい現役ラジャダムナン王者」だった。

ライト級では日本最強の一角と目されている石井のパンチの連打を浴びまくる王者。ローキックも効かされて体力を失う王者。それでも試合全体を通してミドルキックと首相撲からの膝蹴りを当て続けた為、ムエタイルールに守られてどうにか王座を死守したが、元気一杯に悔しがる石井に対して、力なく勝ち名乗りを受ける王者はその後で病院に直行。その姿を観た人なら誰もが思ったはずだ。この王者は弱い。

小林は強い

今年六月、全日本キック小林聡は昨年一年間で磨きを掛けたボディブローで、一度は無残に切り裂かれて敗北したムエタイ戦士を逆に秒殺。観客の大歓声の中で、小林が叫んだのは「現役ラジャダムナン王者っ!You are next!!」の一言だ。

破壊力のあるボディブローという新しい武器を手に入れた小林、満を持してのムエタイ超え宣言。その自信に満ちた表情を観た観客の誰もが思ったはずだ。小林は強い。

小林なら勝てる

小林聡とジャルンチャイ・チョーラチャダーゴン、二人は対戦する事になった。ジャルンチャイは石井戦の後、チャンピオンベルトを3つも増やしていた。だが僕は「どうせムエタイルールを利用して、ミドルキックで点数を稼いで勝利したのだろう」と思っていた。しかも今回、二人が闘うのはムエタイルールではなくキックルール。ミドルキックによる点数稼ぎは通用しないのだ。だからこのカードが決まったと聞いた時、僕は思った。小林なら勝てる。

小林が負けるわけがない

反面。僕は昔、観戦記で書いた以下のくだりを思い出した。

こんな事を書いてしまっていいのかどうかわからないが、ここ最近の「野良犬」小林 聡の全日本キックでの役回りは「ドサ回り」という印象が強かった。これは、全日本キックをちゃんと観戦してきている人であれば皆、同じ感想を持つのではないだろうか?


〜(中略)〜


「どこから連れてきたのかも判らない外国人選手を相手に、一方的な展開の末にKO勝利を上げる」、昨年の小林の闘いを一言でいうならそんな感じ。明らかに興行の最前線からは外れたところでの別格扱い、勝てば勝つほどファンの心の中に「小林の試合はどうもなぁ…」という評価を植えつけていく「矛盾」。一応はKO勝利を重ねるのだから腕は錆び付いてはいないのだろうが…、「客寄せパンダ」のようなその姿には哀愁が漂っていた。


〜(中略)〜


僕は思った、「小林はもう終わりだろう」。34歳という年齢、67戦(これを書いた当時の戦績)というキャリア。数字だけなら既に引退してもおかしくないところまで来ている。「小林は再び、日の当たらない舞台で弱い外国人を相手にKO勝ちを積み重ね、どこかで大一番に挑み、派手に散って引退していくのだろう」。

これを踏まえてぼんやりと考えたのは…。

今日の試合はまさにその『大一番』だな。小林は今日を逃せばもう二度とムエタイのトップと対戦するチャンスはないだろう。もしこの試合に負けたら小林は国内のトップと何戦かやってから引退するしか道がないよなぁ。
…そうか、今日の試合は小林にとって大きなターニングポイントになるのか。

しかし、その考えはすぐに消えていった。

どうせ相手はジャルンチャイだろ、キックルールなら最悪でも判定で小林が勝てるだろうさ。

とにかくこのカード、僕は小林の勝利を勝手に確信していた。そしてその考えは…二人の入場を観ている時も続いていた。全日本キックにしては珍しく入場口にゲートを準備した今大会、スモークが噴出される中で二人は入場。

小林は覚悟していた

ジャルンチャイは四つのベルトを見せつけながら入場。そして小林は入場曲である「キッズ・リターン」と共に、藤原敏男会長を始めとした藤原ジム所属選手の総出による「藤原トレイン」を成して入場、そして藤原会長はそのまま小林のセコンドについた。ジャルンチャイのグローブを殴りつつ睨み付ける小林、藤原会長とハイタッチを交わす小林。小林のこの一戦に賭ける並々ならぬ思いが伝わってくる。

今思えば…小林は、最初から覚悟していたのだ。

嫌な予感

1R、ローキックやミドルキックを連発するジャルンチャイに対し、小林は接近してアッパー、ワンツー、ボディブローとパンチを連発。気合が伝わってくるかのような小林のパンチの連打に観客から歓声が沸く。尚もミドルキックを放つジャルンチャイに対し、小林はバックスピンキックを叩き込む。クリーンヒットし苦笑いするジャルンチャイ、観客からは再び大歓声が沸き起こる。

しかし、ここからは一方的な展開となった。

終盤、ジャルンチャイのストレートが小林にヒット。一撃で怯む小林に接近するジャルンチャイ、そのまま首相撲に捕らえて膝蹴りを猛連打。ジャルンチャイの膝が小林のボディへモモへとグサグサと刺さっていく。そのエゲつなさに観客が騒然とする中、一気にペースを掴んだジャルンチャイが縦肘で突進する。この一撃で顔面を切り裂かれた小林、それでもハイキックやバックスピンキックで対抗する中で1Rは終了。

嫌な予感がする。まずいなぁ。小林はこのままだと、ズルズルと負けてしまうな。

ジャルンチャイは嫌らしくて、巧くて、そして強い

そこにいたのは石井宏樹戦でのジャルンチャイではなかった。ムエタイ四冠王のジャルンチャイは嫌らしくて、巧くて、そして強い王者となっていた。

2R以降、ジャルンチャイは1R終盤に出した首相撲からの膝蹴りを多用。単調な展開ながらも、容赦なく突き立てられる膝蹴りの連打、小林の太腿があっという間に真っ赤に。ブレイクで両者の距離が離れた後はローキックを使って小林の太腿を襲撃するジャルンチャイ、そして再び接近し首相撲からの膝蹴りを連打。

ひたすら繰り返される蟻地獄のような展開を前に、ジャルンチャイの首相撲を捌けない小林の勢いが衰えていく。完全に主導権を握ったジャルンチャイは、4Rは首相撲に捕らえた後で小林を押し倒し、5R終盤にはカウンターのストレートを叩き込んで小林をグラつかせてしまう。この間、ムエタイ戦士らしく要所で肘打ちによるカットを狙っていた事も追記しておく。

小林にもチャンスがなかった訳ではない。全ラウンドの中で、時折パンチやソバットがハードヒットする場面はあったのだ。しかし今日の小林は連打が出なかった。いや、正確にはジャルンチャイが連打を許さなかったのだ。小林のパンチがヒットしても怯まなかったジャルンチャイは、その後ですぐに小林を首相撲に捕らえたり、前蹴りで距離を突き放したりで自らをフォローし、小林に対してまったく隙を見せなかった。

ラウンドが進む毎に観客の声は悲壮感を帯びていき、会場を徐々に絶望感が支配し始める。それでも一縷の望みを賭けて小林に声援を贈る観客。だがその声はジャルンチャイの攻撃を前に溜息へと変わる。5Rも残り時間10秒、観客は奇跡の大逆転を信じて絶叫するが…ジャルンチャイが小林を首相撲に捕らえた瞬間、その声も溜息へと変わった。

試合終了と同時に足早に席を立つ観客達。誰が観ても勝敗は歴然としていた。

小林は勝てなかった

途中、僕は「そこにいたのは石井宏樹戦でのジャルンチャイではなかった」と書いたが、よくよく考えれば今日のジャルンチャイがやった事は…「ミドルキックを多用しなかった事」以外は石井戦と大きくは変わらない。キックルールであれば、前述の石井やNJKFの桜井洋平なら圧勝できる相手だろう。

1R終盤にジャルンチャイがパンチをヒットさせた事が勝負の分かれ目だったように思う。せめて小林がジャルンチャイよりも先にパンチでクリーンヒットを出していれば、その展開は大きく変わっていたように思う。また藤原会長は、試合前に「どの局面でも前蹴りを打つことを頭に置かせている」と言っていたが、この試合で小林が前蹴りを使う場面は殆どなかった。これがもっと出ていれば、この試合ではまったく出なかったボディブローを使う場面も増えていたのではないか。

どれだけ「たられば」を繰り返しても仕方がない。今日の小林は勝てなかった。事実はそれだけだ。

嫌な予感

判定3−0、勝ち名乗りを受けるジャルンチャイの横で、小林は思い詰めた表情でうつむいていた。

変だ。小林は負けた後はしつこくリングに残る事はなく、リングの四方に礼をした後でアッサリと会場を去っていく。それが何故、いつまでもリングに残っているんだ?

嫌な予感がする。まさか…。

その言葉を、観客は静かに聴き入れた

ジャルンチャイがリングを去った後、グローブを外した小林は自らマイクを持った。覚悟を決めたその表情を観た瞬間、僕の嫌な予感は確信へと変わった。引退だっ!

今日の試合を最後と決めてリングに上がりましたっ!十五年間ありがとうございましたっ!これからもキックボクシングをよろしくお願いしますっ!

残っていた観客から驚きの声も僅かに出るも「やめるなっ!」とか「まだできる!」という声は皆無。34歳という年齢、今日を含めて69戦というキャリア…この場にいた観客は皆、ムエタイ王者に完敗した小林に気の利いた言葉を掛けられなかった。「もう休ませてあげたい」という想いで、自分の言葉をグッと呑み込んだファンも少なくないだろう。その場にいた観客は、ただただ小林の引退宣言を静かに聴き入れた。

僕もまた、小林の引退を静かに受け止めた。本当はまだまだやれるっ!という想いあったが、それ以上にもう充分だろうという想いが強かった。結局、何の言葉も発する事もできない自分がいた。

あの会場にいた人間の多くは、僕と同じような想いだっただろう。

激しい後悔

会場を後にした後、一緒に観戦していたフリジッドスターさん(id:frigidstar)がボソッとこんな事を言った。


あそこは『バカヤローッ!まだ始まっちゃいねぇよ!』って
叫ぶところだったんじゃないですか?


激しい後悔が僕を襲い、道端であるにも関わらずその場に崩れてしまった。そうだ、その通りだっ!あの瞬間に叫ぶには絶好の言葉じゃないかっ!なんで言葉が出なかったんだっ!

まだまだ小林の試合を観たいんだっ!

フリジッド君の言葉がキーになって、止まっていた頭が急に回転し始める。

確かにムエタイへの挑戦は、今日の試合で終わった。基本的にはムエタイ超えを目指していた小林、最期のチャンスを掴めなかったのだから引退するのは必然と言えば必然だ。だが一つだけ、小林が果たしていない事がある。小林は一昨年、しきりに大月晴明へのリベンジを口にしていた。これは大月の長期欠場で実現する事なく今日の日を迎えたが…、せめてその一戦が実現してから引退しても遅くはないのではないか?

そうか…。やっぱり僕は、彼がボロボロだとしても、まだまだ小林の試合を観たいんだ。ああ、それならせめて一声でもいいから、自分の想いを小林に伝えられていれば…。

ハッキリ言って、ファンとしては往生際の悪い態度だと思う。だが僕の中に「金を払ってでも小林の試合を観たい」という感情がある以上、今更こんな事を書いても遅いとは思ってもこれを書かずにはいられない。

バカヤローッ!
まだ始まっちゃいねえよっ!

雑感

興行全体を見渡せば、大輝のラジャダムナン超え、大月晴明の復帰、佐藤皓彦 vs 後藤友宏による激戦…と、かなり充実した内容だった。しかし…。

今回は「小林、引退発言」の衝撃があまりにも大きすぎて、それらの余韻がすべて吹き飛んでしまったなぁ。後に残るのは虚しさばかりなり。確かに「引退」の二文字はいつでも選手に付きまとうものであり、大ベテランの小林の幕引きは「野良犬」を名乗る選手にしては非常に奇麗だったと思う。

しかし。ダメなファンの典型だったとしても…僕は叫びたい、叫ばずにはいられない。


バカヤローッ!まだ始まっちゃいねえよっ!


以上、長文失礼。