もう一人の「電車男」 ・改定版

なんとなく納得がいかないので

勝手に書き直してみました。


電車男」のその裏で

「人の噂も75日」とはよく言うが、「流行や廃れも75日」なんて言葉は一度も聞いた事がない。だが俺が妙に気に入っているこの造語もまんざらウソでもなくって、一時はあれだけ世間を騒がせた「電車男」も、今ではまったく話題に昇らなくなった。日本中の人々がインターネットを通じ、勇気のない男の一つの愛を暖かく見守るという「現代の人情話」。世知辛い世の中に爽やかな風をもたらしたこの話の裏で…、一人の男がこれと似たような経験をした事を、あなたは知らない。

あれは数年前、ちょうど世間に「電車男」の噂が聞こえてきた頃だったか?


俺はいつも通りに残業を終えて終電近くの電車に乗っていた。俺の職場の駅から自宅の駅までは結構な距離があり、日頃の仕事の疲れやストレスが溜まっている俺にとって「電車の中で寝る」ことは何よりも重要課題。この日の電車はかなり混んでいたが、俺は幸いにも椅子に座る事に成功。


「『サラリーマン』という仮面を脱ぎ捨て、一人の男に戻る」、そんな一日の区切りとなる時間を幸せに過ごす俺。「出来る男は、電車の中での過ごし方が違う」という話も日経あたりで読んだ気もするが、俺はそんな世界とは無縁の男、もちろん「自分の為の勉強」よりも「食べる事」と「寝る事」の方がよっぽど大事なのだ。「今日も電車で座れた!まさに『勝ち組』!」。俺は自分が「負け組」である事を薄々は自覚しているが、それでも「小市民的な発想の転換」で自分を癒し慰め、今日も浅い眠りについていた。


異変が起きたのは、それからしばらくしての事だ。


「………ん?」


「電車の中で寝ると自宅周辺の駅までは絶対に目覚めない事」を自慢とする俺が、この日は行程の半分程度の場所で目が覚めた。「何だ?何が起きたんだ?」と眠っている頭を巡らせてはみたものの…サッパリわからない。ただ一つわかっているのは「『たまたま目が覚めた』とか、そういう事ではないんだ」って事くらいか…とか思っているうちに聞こえてきたのは…。これだ、俺の眠りを妨げたのはこれだ、この耳障りな音だ。今ならハッキリわかる。


「パシャッ」。


携帯電話から発せられるカメラの音だ。

今や完全に目を覚ました俺は「違うんだ!」と、まずその音を疑った。「俺はカメラの音そのもので目を覚ました訳ではない。カメラ音が変だから気になって目を覚ましたのだ」。


聞こえてきたのは、またしても「パシャッ」というカメラ音。その後も『音』は終わる事なく、「パシャッ」「パシャッ」ある一定の間隔を置いて聞こえてくる。


「『記念撮影』とかではなさそうだ、周りからそういう声は聞こえないし。となると、電車の中には『人』以外に被写体となる存在なんてあるのか?まあ、鉄っちゃんなら『電車の中にある何か』に価値観を見い出して写真を撮るような事もあるだろうが…、そんな連中は『携帯電話で撮影』なんてチープな事はしないだろう。…じゃあ、誰がこんな電車の中で何を『連続』で写しているんだ?」等と、頭が悪いなりに推理をしながら俺は周囲を見渡した。


程なくして、その音の主が判った。いや、判ってしまった、というべきか。


主はスーツを着た男性だ。彼は短いスカートを履いた女性の後ろに立ち、真剣な表情で携帯電話を眺めていた。そして俺がこの男を主だと突き止めたのは、彼が行っている行為からだった。


男は持っていた携帯電話を使い、立っている女性のスカートの下からさりげなく「パシャッ」と写真を撮っていた。撮り終えれば携帯電話を覗いて出来栄えをチェック、そしてまた下から「パシャッ」。再びチェック、その後も「パシャッ」「パシャッ」「パシャッ」…。


…盗撮だ、まごう事なき盗撮だ。

思案

期せずして犯罪現場を目撃した俺。「何でこんなものを見てしまったのだろうか…」という妙な後悔の念と、「コイツもコイツだ。盗撮するなら、せめてもっと人目のつかないところでやれよ」という嫌悪感が心を交差する。


少し考えた後、俺が出した結論はコレだ。「…これだけの音であれば、周りの誰かが気付いて注意するだろうな。だいたい俺は昔から、喧嘩というものでも勝ったことが一度もない。万が一、逆ギレを起こされて襲われたりしたら、それこそたまったものではない」。


弱い自分を弁護しつつ「もっと強い奴が注意すればいい」と結論づけ、俺は目の前の事実に対して無視を決め込む事にした。

葛藤

電車は住宅街を抜ける。俺が最初に乗った時にはあんなに多かった乗客も、今ではすっかり少ない状態だ。


にも関わらず。盗撮野郎は未だに盗撮に夢中だった。立っている女性も、いまだに盗撮されている事に気付いていない。そして周りの連中が盗撮野郎の行為を注意する雰囲気は皆無。なんなんだっ!?俺が思っている程に世の中に「強い奴」はいないのかよっ!?


俺の中に思いが巡る。「明らかな犯罪行為」を無視する俺…。いいのか?本当にいいのか?本当にいいのか?


やがて俺は「何で俺みたいな『弱い男』がこういう役をやらなきゃならのだ…」というどうにもならない「やるせなさ」を抱きつつ、妙に高ぶる気持ちを抑えながら盗撮野郎に声を掛けた。


「何してるんですか?盗撮ですか?」


…ウソだ。


いや、本当はこういう風に声を掛けるつもりだった。しかしこの時、俺の心は、慣れない状況ですっかり高ぶっていた。そんな俺から発せられた言葉はこうだ。


「オイ、何してんだオメー?」


オイッ、いいのかっ!? 本当にいいのかっ!? 大丈夫なのか俺っ!?

追跡劇

俺にとって意外だったのは、盗撮野郎が必要以上に怯えた表情をしていた事だ。「喧嘩は度胸」って言葉もながちウソじゃないらしいな。


盗撮野郎は「うっ…、うっ…、うわあああぁぁぁ〜っ!」と悲鳴を上げながら、タイミングよく開いた電車の扉から逃げていった。もちろんタイミングよく…なんて事ではない。俺は万が一に備え、自分が逃げやすいように電車の扉が開くタイミングを見計らって声を掛けていたのだ。そんな俺の思惑など知らず、盗撮野郎はホームを駆けて行った。


日常では味わえないこの状況に、タダでさえ高ぶっていた俺の気持ちはフルスロットル。すっかり調子に乗った俺は「待てやあああぁぁぁ〜っ、この盗撮野郎があああぁぁぁ〜っ!」とこれ以上ない大声を上げながら盗撮野郎を追っていく。


それにしても気持ちがいい。電車の中の連中が俺を見ている。ここ最近で、俺はこんなに走った事があっただろうかっ!? 俺はこんなに叫んだ事はあっただろうかっ!? 俺はこんなにストレートにストレスを発散した事があっただろうかっ!? 俺は面白くなって、「この○×△■野郎があああぁぁぁ〜っ!」とここでは書けないような事を叫びながらホームを全力疾走し続けた。電車の中の連中が俺を見てる。それもまた気持ちがいい。


やがて俺は、盗撮野郎をホーム先端まで追い詰めた。俺が「もう逃げられねぇぞ、☆#$※野郎!」と叫ぶと、逃げ場を失った盗撮野郎は慌ててホームを飛び降り、線路内へ進入して逃げていきやがった。


「ここから先は一本道だ。となれば、関係者に取り押さえられるのも時間の問題だろう。これ以上追いかると、電車のダイヤに支障が出るな」と判断した俺は、追跡を止めてその場にいた車掌に簡単に追跡劇の事情を説明し、自分が乗っていた車両へと戻っていったのだった。


…と、ここまでがこの話の「前振り」だ。

もう一人の「電車男」の真実

車両に戻った俺を、電車の中の人々がじっと見る。なにやら恨めしそうなその目は「つまらん事で電車を止めやがってっ!」とでも言わんばかりだ。「そうだよな…、理由はどうあれ、帰りの電車が止まるのは何となく気分が悪いよな…」。盗撮野郎を追い廻していた時の「高揚した気分」とは一転、元の「負け組」に戻った俺は、良い事をしたにも関わらず妙にに申し訳ない気持ちになった。


そんな俺の気持ちを癒したのが被害者の女性の声だ。年の頃なら二十代前半、恐らくは女子大生だろう。彼女は俺に向かって「ありがとうございますっ!」と何度も何度も礼をしてくれた。その表情は、自分が何をされたていたのかよく理解していないようだったが、それでも瞳の中は感謝の念で溢れていた。


…と、ここで俺とこの女性の間に恋の一つでも芽生えれば、もう一つ「電車男」としては完璧なストーリーとなるのかもしれないが、「もう一人の『電車男』」はそうはいかない。


俺の身体に異変が起きた。


「(ハアァッ、ハアァッ、ハアァッ)………く、く、苦しい!?」

「(ハアァッ、ハアァッ、ハアァッ)………オ、オボエエエェー!き、き、気持ち悪いっ!?」

「(ハアァッ、ハアァッ、ハアァッ)………こ、これって、も、もしかして………酸欠っ!?」


被害者の女性の瞳から潤みが消え、表情が曇っていく。そして俺を尊敬している彼女ですらこうなのだから、周りの反応といえば惨いものだ。俺を突き刺す無数の奇異の目。「何だよっ!? 何でそんな目で見るんだよっ!? まかりなりとも、俺は盗撮野郎を撃退した男だぞっ!?」、そんな思いとは裏腹に、俺は目眩を覚え「ハアァッ、ハアァッ」と肩で息をしていた。立ってもいられなくなり、その場で倒れるように座り込む俺。時折、えずいては吐きそうになる俺。


「日頃から慢性的の運動不足」と「急な全身運動」。贅肉が目立ってきた俺の中年の身体に、何十mも全力疾走した代償が「現実」として突きつけられたのだ。本当は礼をする被害者の女性に立ち上がって言葉を投げかけたい。もちろん今の俺には、そんな余裕すらない。ただただ情けなくその場にヘタリこんで、

「(ハアァッ、ハアァッ、ハアァッ)……き………き…き……気を、

 ………(ハアァッ、ハアァッ、ハアァッ)……付けて…下……さい………」

というのがやっとだった。


被害者の女性は「この人にこれ以上、声を掛けるのは気の毒だ」という表情をし、哀れみの目で俺を見てから元の席へと戻っていった。そして俺も彼女に声を掛ける事はなかった。当たり前だ、俺は結局、自分の駅まで電車の中で倒れたままだったのだから。


電車に乗る女性と、酔っ払いのように電車の中に倒れ込んだ俺。電車は「無関係な二人」を乗せて走っていった。

挿入歌:大塚博堂「ダスティン ホフマンになれなかったよ」

そして今の俺

俺はこの日以来、「人生の『キメ処』をキメるには、日頃からの努力の積み重ねが重要だ」という事を知り、脾肉の付いた身体とさよならすべくダイエットを決行する。


そしてその決意は三日と続く事はなかった。俺は今も、彼女を作る事もなく、彼女ができる事もなく、ポテトチップスを食べながらこの文章を書くのだった。


いや〜っ、それにしてもこのCMのなっちは可愛いな!
http://www.dailymotion.com/video/x406me_abe-natsumi-georgia-gaba_ads

最後に

ほんの少しの勇気、ほんの少しの優しさ、ほんの少しの運があれば誰にでも「電車男」になれるチャンスはある。だが、そのチャンスを生かせるかどうかは嘘、偽りのない普段の日々の積み重ねが大きく左右するだろう。


大事なのは「人生の分岐点をどう選択したか」ではなく、「選択した人生をどう過ごしたか」である。

エンディング:Ben.E.King「Stand By Me」



…何が Ben.E.King だ、バカヤロウ!